・天明年間(1781~1789)
有明村(穂高有明)で野生の天蚕を採集し飼育が始められた。
当時はクヌギの自然林にいた天蚕幼虫と緑色の繭に魅せられ、趣味的に
飼育されたといわれている。
・文政年間(1818~1829)
営利的副業として本格的な飼育が開始されたと伝えられる。
・嘉永年間(1848~1854)
繰糸の開始。飼育林も増え、繭の生産量も150万粒であった。
・明治9年(1876)
足踏み式繰糸機による製糸が始まる。
・明治10~30年代(1877~1898)
飼育林不足により、他県(茨城、栃木)への出張飼育も合わせて繭850万粒余りを生産し天蚕の黄金時代となった。
穂高有明地方で生産された天蚕糸は、京都の西陣をはじめ桐生・足利などの機業地に送られ、最高級品との名声を博した。
・明治35年(1902)
このころから病害虫が多発、養蚕の奨励により天蚕飼育林が桑畑に転換し生産量が減少する。
・明治41~45年(1915~1924)
上高地の焼岳の噴火による降灰の被害や飼育林が陸軍の演習場にされた事などにより 飼育農家が減少。
・大正5年(1916)
篤志家の努力により繭600万粒の生産が復活。
・昭和12年~20年(1937~1945)
度重なる戦争のため天蚕糸は贅沢品とされる。
さらに第2次世界大戦で飼育が途絶える。
・昭和22年~47年(1947~1972)
長野県蚕業試験場有明天柞蚕試験地が設置され、天蚕種の飼育保存が続けられる。
・昭和48年(1973)
長野県は市町村への委託飼育を開始。穂高町は委託飼育市町村となり、一般農家4軒で天蚕飼育が復活した。
・昭和52年(1977)
信州紬(上田紬、山繭紬<有明紬>、飯田紬など)が伝統工芸品に指定される。
( 山繭紬=有明紬 有明紬を織っていた塚田宝作氏は、大正12年穂高有明で絹織物店を開かれた方 )
・昭和55年(1980)
天蚕センターで手機を開始した。
写真提供:北條純之氏